つれづれなるままに

スピッツとチャイとくすんだ色とこたつが好きです

後輩の代替わりと「思い出」

こんばんは。

今回は、サークルの一つ下の後輩たちの代替わりの二次会におじゃましたお話です。うわっと拡散的に届けたいような話ではないのでここで。

 

改めて、14のみんな、おつかれさまでした。よくがんばったね。

みんなの清々しい笑顔が見られて嬉しかったです。

 

 

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ででん。

映像局長が3人そろったので撮ってもらいました。いい写真だ(自画自賛)

真ん中のガムが着ているのが、何年受け継がれているのかわからない(20年くらいかな?あんま適当なこと言えない!)、重い責任と誇りがしみついた局長パーカーです。感慨深い。世代はこうやって変わっていくんだねぇ。

なんだかんだ、2人ともとっても大切でとってもかわいい。自慢の後輩です。

 

 

去年自分が引退した時はいろんな感情がこみ上げてきて何が何だかって感じで、一瞬でも油断したら泣いてしまうからとりあえず感謝だけは伝えなきゃ!と思っていたわけですが、1年も経てばちゃんと「思い出」になるんだねぇ。

楽しいのも辛いのも失敗も後悔も全部肥やしになって、無理に引っ張りださなくてもそれらはちゃんと自分の一部になっていることに気づいて、この暖かい気持ちの正体はこれか!と、ほぉ〜と思いました。

 

こうやって歳をとっていくのかな。そうだとしたら、こういう振り返りの「節目」を大切にして、良い歳のとり方をしたいな。

 

逆に言えば、節目以外で何度も何度も振り返る必要はないと思うんです。

思い出は残しておこうとするものじゃない。そんなことをしていたら、過去から先へは進めない。

忘れた頃に、振り返るべき時に懐かしく振り返るからその過去は「思い出」になる。

ほんの少しでも前に進んだ自分との違いを示して、自信につなげてくれる役割が、「思い出」にはあるような気がしています。いつもいつも振り返ってたら効力も薄れちゃうと思うんだな。

 

節目を越えた時間や経験はそのまま心に置いといて、とりあえず目の前にあることに取り組んでみれば、気づいた頃にはそれは心強い思い出になっている。

私は自分なりに頑張ってやってきた経験を、そういう風に大切にしていこう。

 

そんなことを思った飲み会でございましたよ。

というか相変わらず担当代から執行代へ向けた映像のクオリティの高さね!

ああいう形で先輩への感謝と敬意を表す伝統が続いてるのはうちのサークルの誇るべきところだと思うし、お酒が入っているとはいえみんなめちゃくちゃ盛り上がっていい反応するよね。あれが素敵だと思う。

 

 

あとは代替わりにかかわらずいつも思うんだけど、

目が合ったら嬉しそうに手振ってくれる後輩とか、助走つけて抱きついてきてくれる後輩とか、作品ができたからご飯いきましょうって定期的に言ってくれる後輩とか、突然飲みに誘ってくれる後輩とかとか、ほんっとに嬉しい限りであるよ。ありがたいですよ。大切にしていきたいよ。卒業前に、今度はこっちから誘うね。

 

そして同期はそれとはまた違った、久々に会った時の嬉しさがある!卒業旅行いけたらいいねぇ。酸いも甘いも知り合った同期も大切な財産。なかなかこんな関係性はつくれないなって改めておもいました。

 

 

まあ何が言いたいって、サークル自体への執着がまったくないもんだからすっごい久しぶりに行事に顔を出してみたらとっても楽しかったよってことです(笑)

たま〜〜〜〜に会うくらいがちょうどいい場所だよね。そんなもんよね。

 

もうすぐ卒業なんだなあ。早いなあ。

私は体重を増やさずに卒論をバシッと書き上げてスカッと春休みを迎えるからみててね!(宣言)

 

 

備忘録:Goose house的アコースティック2マンライブ第2夜

今回は備忘録です

こんばんは!

今回はね、きのう行ったライブがよかったぞ〜うわ〜って感じの、あの時間を貼り付けておくぞ〜って感じの備忘録です。

10月19日、Goose house的アコースティック2マンライブの第2夜、ジョニーさんとゲスト・片平里菜ちゃんの回に行ってきました。ああ、最高だった。

 

まずは里菜ちゃん

刺さるんですよね、歌が。

あの細い身体のどこにあんなエネルギーが、って女性のアーティストのライブに行くとわりと思うことなんだけど、里菜ちゃんはまたちょっと別で。エネルギーと湧き上がる想いが一本の線になって、観客の心に突き刺さるんだなと感じました。ビリビリしました。

 

あと、彼女の「女は強くありたい」ってスタンス、聴いているとすごく元気が出ます。ダメな男なんかに、お前なんかに、自分なんかに負けないって。

 

男はプライドの生き物だというなら、女は強がる生き物なんじゃないかと思ったりします。精一杯強がらないと負けてしまうんだと。「女は男より強い」とよく言われるけれど、強がっていないと男に喰われてしまうんだと。

勿論全員がそうじゃないし、弱みを美しくみせられる女性は素敵だなって思うけど、私はそういうことにしたいよ!(笑)

 

そんなことを、里菜ちゃんの歌を聴きながら考えておりました。

それにしても、あんな小さいライブハウスで聴けるなんて貴重すぎる経験。

終演後は言語野を持っていかれました。しばらく何も言えなかった。

もうすっかりファンになっちゃったね……また行きたいなあ。

 

つぎはジョニーさん

2マン、後半はジョニーさん。ハウスメイトに囲まれて、歌い慣れた月見ルで、どホームなのもあっただろうけど、終始あったかくてやわらかい雰囲気のステージでした。

いやあずるい男だ。あんなの、たまらないですよ。たぶんこれから「ずるい」ってたくさん言います(笑)

 

『ハイウェイ賛歌』からスタート。生で聴けた〜やった〜。アウトロのギターがやばいんだ相変わらず。そのまま『放課後ヒロイン』。「みなさん手拍子バッチリですねぇ、覚えててね?(笑)」って笑顔がキュートでね、もう既にずるいんですよ。忘れないわこのやろう。

 

MCがいちいち長いんだけど、お客さんの「まただよ…」って笑いがあたたかいのは彼の人柄なんだろうなと、本当にファンに愛されてるなあと見ていて嬉しくなってしまう。話は上手いし着地点も明確だから普通にいくらでも聞いていられるんだけどね。あと、ねぇ聞いて!ってニコニコしてるのが超かわいい!(盲目です、ファンなので)

 

そんな流れで『ごめんねの独り言』を。実家のお母さんに向けた歌。

泣きました。危ない気はしていたけれど案の定。おほ。

親って子どもには弱いところを見せずにいてくれているんだな、と最近よく思います。私の母は模範的な「お母さん」像とはかけ離れているけど、子どもを信じて、最後には選んだ道を応援してくれて、何があっても味方でいてくれる。そのことに気づいてからは楽になりました。こんな存在って人生の中でほかにいない気がするんです。だから、大切。

胸張って帰れるように頑張らないとなあ。大好きな曲なので聴けてほんとに嬉しかったです。

 

そのまま照明が変わって、「男はいつまで経ってもね、女性には敵わないんですよ」と話し始めて。「これは人類が滅びるまで変わらない気がする、いやむしろ変わってしまった時が人類が滅びる時なんじゃないかと思います」と。なるほど。

「でも男だってね、いいところ見せたい時もあるんですよ。みんな気づいてあげて!」って、なんだそれwと観客をふふっとさせてから歌う『月に吠える』はもう〜ずるいな〜〜〜!えらいかっこよかったです。いや、あの、かっこよかったです。なにそのギャップ。聞いてないよ。意味わからんよ。心の準備もできてなかったよ。ずるいどころの話ではないですよ。

 

首筋を流れる汗がバカみたいにセクシーなのに、タオルで拭う仕草がおっさんくさくてかっこよくなくて、左手どうなってんの?いや右手もどうなってんの??みたいな演奏で、ずっとニコニコしてて楽しそうで、ジョニーさんの魅力が大爆発のステージ。元気をもらえました。心がポカポカしました。

この上なく素敵な夜でした。

里菜ちゃん、ジョニーさん、ありがとうございました。しあわせだなあ。

 

おわりに

インプットもアウトプットも蓄積がものを言う気がするから、見たものから何を得るか、は意識していきたいなと思っています。

素敵なライブに行けて元気モリモリなので、卒論をね!!最後に卒論って言っておけばいいと思っているB4らしい締め方!でも卒論だってインプットとアウトプットの繰り返しだよね。ちゃんとしたものにしたいなとは思っているんだ。4年生のみなさん、ともに頑張りましょう(笑)

 

こんな象徴性の塊みたいな文章でも、書くと時間かかるなあ〜たのしいなあ〜

ではっ

 

「いやな記憶を忘れること」の変遷

 

こんばんは。

なんだか衝動的に、アカウントだけつくって温存していたブログというものを動かしてみます!

そわそわ!

 

というのもですね、

8月27日にきのこ帝国の日比谷野音ワンマンライブ『夏の影』を見に行ったんですよ!素晴らしかった!

最近ライブ行くと「気付いたら泣いていた」現象が発生するのだけど、どこに何がどう共鳴して泣いたのか自分で把握しないと気が済まない性分なもので、これはブログの出番?とこうして冷房に胃腸がやられてぴーぴーしながら深夜3時にキーボードを打ってます。冷房と仲良くなりたい夏、2016。

 

 

野音、はじめて行きました。

雨の夜の東京に轟いたり溶け込んだりするきのこ帝国の音楽は、悪天候すらも音楽の一部にしているみたいでした。

こういうのは音楽雑誌のライターさんが書くものだから無理しなくていいや(笑)

だからすごい個人的な思うところをね、ぬるぬると。

 

「夏の影」ぬるぬる感想文

きのこ帝国の曲って夜〜明け方が舞台のものが多くて、街の様子や空の色なんかが見える歌詞世界がすごく好きなんですけど、今回見に行って「忘れる」ってフレーズがたくさん出てくるなって思いました。記憶にまつわる、しかも得ることより失うことを描いた歌詞。

 

嫌な記憶をどうしたら忘れられるか、ここ1年くらいそればっかり考えてたんです。

何かの拍子でこれまで蘇ることのなかった種類の記憶が呼び起こされてぐったりしたり、モノとか音楽とか服とかに記憶が付着してとれないのが嫌で嫌で、全部洗濯して漂白できたらいいのにって思ったり。

あの記憶群が今の自分を形成していることは決して否定しないけど、思い出す度に、私にはこれしかないのかって思うのが嫌で。恐怖が付随するためか沼から抜け出せない感じがして、トラウマを負わされて囚われてる時点でまだ負けてるんじゃんって、ね。上書きしようと躍起になった時もあったし。

どうしたら忘れられるか、どうしたらあの忌々しい記憶に勝てるか、そんなことをずっと考えていました。

 

でもアンコールの1曲目に『疾走』をやってくれて、

www.youtube.com

<季節が3つ過ぎただけで

何の変哲もない日々が巡り

ああ、こうしていつのまにか

そっとそっと忘れてゆくのかもしれないなぁ

なんてふと考えたりした>

という歌詞がスッと入ってきて。

あっ、それくらいでいいのかもなって思ったんですね。

 

家族や友達に散々迷惑と心配をかけたあの人を悪者にして(実際パンダ色の車にお世話になったのだけど)それに打ち勝つという心の動きは、自分がだめにならずにやっていくためには必要だったのかもしれないけど、過去を忌み嫌ってもそんなにいいことないんですよ。あんまり何かと競うことがモチベーションになるタイプでもないし。

だから無理に抗わないで、そっと忘れてゆくのかもなあ、って思うくらいが、ちゃんと過去を過去として受け入れるってことなのかなって思いました。

そしたらすごい気持ちが楽になった。アンコールでボロ泣きマン(笑)

 

最近は卒研の影響で「受け入れる」ということについてたくさん考えていて、少しリンクするところもあってまた思考のトンネルが一本掘れた気がします。

トンネルを掘るという表現が気に入っています。入口があれば出口がある。村上春樹ばっか読んでるのもそのあたりから。

受け入れること、受容することはおそらく人生のテーマのひとつになるんじゃないかな。まだまだ考えていきたい。

てか卒研やらねば!!!

 

今回のライブできのこ帝国はそんなことを教えてくれました。素敵な機会をありがとう。

自分にとっては大切なことだなと思ったので言葉にしてみました。

 

佐藤さんのこのインタビュー記事がとっても素敵だったよ!ででん!

www.kinokoteikoku.com

 

あ!あと、アンコールを急遽2回やってくれたんだけど、

佐藤さん「これからシゲにグッズの宣伝をしてもらう間に3人でやる曲を決めます」

シゲさん「は!?(と言いつつ一生懸命宣伝してくれる)」

(佐藤さん、シゲさんに曲名を報告)

あーちゃん「うちのボーカルも優しいでしょ?私は言わないで始めるのが面白いと思ったんだけど(笑)」

という流れが!最高に微笑ましかった!😉

 

おわりに

や〜書くのたのしいなあ〜

こういう個人的なのをちまちま書いていきたいな、恥ずかしいけど。

ではっ