「いやな記憶を忘れること」の変遷
こんばんは。
なんだか衝動的に、アカウントだけつくって温存していたブログというものを動かしてみます!
そわそわ!
というのもですね、
8月27日にきのこ帝国の日比谷野音ワンマンライブ『夏の影』を見に行ったんですよ!素晴らしかった!
最近ライブ行くと「気付いたら泣いていた」現象が発生するのだけど、どこに何がどう共鳴して泣いたのか自分で把握しないと気が済まない性分なもので、これはブログの出番?とこうして冷房に胃腸がやられてぴーぴーしながら深夜3時にキーボードを打ってます。冷房と仲良くなりたい夏、2016。
野音、はじめて行きました。
雨の夜の東京に轟いたり溶け込んだりするきのこ帝国の音楽は、悪天候すらも音楽の一部にしているみたいでした。
こういうのは音楽雑誌のライターさんが書くものだから無理しなくていいや(笑)
だからすごい個人的な思うところをね、ぬるぬると。
「夏の影」ぬるぬる感想文
きのこ帝国の曲って夜〜明け方が舞台のものが多くて、街の様子や空の色なんかが見える歌詞世界がすごく好きなんですけど、今回見に行って「忘れる」ってフレーズがたくさん出てくるなって思いました。記憶にまつわる、しかも得ることより失うことを描いた歌詞。
嫌な記憶をどうしたら忘れられるか、ここ1年くらいそればっかり考えてたんです。
何かの拍子でこれまで蘇ることのなかった種類の記憶が呼び起こされてぐったりしたり、モノとか音楽とか服とかに記憶が付着してとれないのが嫌で嫌で、全部洗濯して漂白できたらいいのにって思ったり。
あの記憶群が今の自分を形成していることは決して否定しないけど、思い出す度に、私にはこれしかないのかって思うのが嫌で。恐怖が付随するためか沼から抜け出せない感じがして、トラウマを負わされて囚われてる時点でまだ負けてるんじゃんって、ね。上書きしようと躍起になった時もあったし。
どうしたら忘れられるか、どうしたらあの忌々しい記憶に勝てるか、そんなことをずっと考えていました。
でもアンコールの1曲目に『疾走』をやってくれて、
<季節が3つ過ぎただけで
何の変哲もない日々が巡り
ああ、こうしていつのまにか
そっとそっと忘れてゆくのかもしれないなぁ
なんてふと考えたりした>
という歌詞がスッと入ってきて。
あっ、それくらいでいいのかもなって思ったんですね。
家族や友達に散々迷惑と心配をかけたあの人を悪者にして(実際パンダ色の車にお世話になったのだけど)それに打ち勝つという心の動きは、自分がだめにならずにやっていくためには必要だったのかもしれないけど、過去を忌み嫌ってもそんなにいいことないんですよ。あんまり何かと競うことがモチベーションになるタイプでもないし。
だから無理に抗わないで、そっと忘れてゆくのかもなあ、って思うくらいが、ちゃんと過去を過去として受け入れるってことなのかなって思いました。
そしたらすごい気持ちが楽になった。アンコールでボロ泣きマン(笑)
最近は卒研の影響で「受け入れる」ということについてたくさん考えていて、少しリンクするところもあってまた思考のトンネルが一本掘れた気がします。
トンネルを掘るという表現が気に入っています。入口があれば出口がある。村上春樹ばっか読んでるのもそのあたりから。
受け入れること、受容することはおそらく人生のテーマのひとつになるんじゃないかな。まだまだ考えていきたい。
てか卒研やらねば!!!
今回のライブできのこ帝国はそんなことを教えてくれました。素敵な機会をありがとう。
自分にとっては大切なことだなと思ったので言葉にしてみました。
佐藤さんのこのインタビュー記事がとっても素敵だったよ!ででん!
あ!あと、アンコールを急遽2回やってくれたんだけど、
佐藤さん「これからシゲにグッズの宣伝をしてもらう間に3人でやる曲を決めます」
シゲさん「は!?(と言いつつ一生懸命宣伝してくれる)」
(佐藤さん、シゲさんに曲名を報告)
あーちゃん「うちのボーカルも優しいでしょ?私は言わないで始めるのが面白いと思ったんだけど(笑)」
という流れが!最高に微笑ましかった!😉
おわりに
や〜書くのたのしいなあ〜
こういう個人的なのをちまちま書いていきたいな、恥ずかしいけど。
ではっ